Q
 兄弟姉妹との関わりをどのように支援すればよいでしょうか。(その3)

A
 これまで、A・兄弟姉妹が「偏見」に遭っている、B・親の支援が本人に偏るので、兄弟姉妹が放置されている、という問題について考えました。
今回は、C・親の支援を、兄弟姉妹が「負担」している、D・本人と兄弟姉妹が「対立」している、という問題について考えてみたいと思います。
 家族の中に「介護」を必要としている人がおり、その対象が「障害者」と呼ばれる人であった場合、その兄弟姉妹が親と一緒に「介護」する (親の支援を手伝う)ということは、家族として「当然の姿」だと思います。
 ただ、兄弟姉妹には、各自の生活があるので、その生活を犠牲にしてまで「負担」すれば、無理が生じるでしょう。あくまで、兄弟姉妹の「自発的な」 支援が「原則」になるのではないでしょうか。
 (私事で恐縮ですが)、私の父方の祖母は「障害者」でした。関東大震災で罹災し、片足を切断していたのです。義足、松葉杖で移動していました。 小学校1,2年頃の私は、その祖母に付き添って「銭湯」に行かされました。「女湯」の脱衣場で、祖母の着替えを手伝うのです。祖母が義足を外す とき、その場の子どもたちが集まって、祖母の足、義足、そして私の顔を「代わる代わる」見つめます。当時は、その「視線」がいやでたまりません でしたが、祖母をうらむ気持ちは起きませんでした。私にとっての祖母は、はじめから「義足をつけた人」(障害者)であり、それが自然な姿だった からです。昔の人は、子どもの「気持ち」などには無頓着で、父は祖母の介護を「当然のこととして」私にさせました。祖母が死の病床に伏すと、 「排泄の介助」は、私の担当でした。今では、懐かしい思い出ですが、そんな経験が、以後の「仕事」につながったのかもしれません。
 また、私の周囲には、「自分の兄弟姉妹が『障害者』なので、福祉の仕事をしている、障害児教育に携わっている」という人が、たくさんいます。 「障害者」と呼ばれる人との「かかわり」は、見た目では「負担」のように感じられたとしても、それ以上の恩恵を私たちにもたらしててくれるので はないでしょうか。
 「この子がいてくれたおかげで、私たち家族の絆が強くなった。社会に対する視野も広がった。今では、この子がいない我が家なんて考えられない」 と言うお父さん、お母さんにも、たくさん出会いました。
 大切なことは、「この子」の存在を、「あたりまえのこと」として受け容れる「気持ち」だと思います。「この子」が「できない」のは、「この子」が 「怠けている」からではありません。人間の能力は「千差万別」であり、「できる」程度は人によって異なります。どんなに努力しても「できない」ことは、 「できない」のです。「できる」人を基準にして、「できない」人を責めることは「愚か」です。「できる」人が、「できない」人を助ける、それが私たちの 「生き方」であり、人類が歴史から学んだ「知恵」だと思います。
 とはいえ、それは「理屈」であり、私たちには「感情」があります。「この子さえいなければ・・・」という「気持ち」が生じることも、また「あたりまえのこと」 でしょう。この「理屈」と「感情」の「ずれ」をどのように克服するか、それが私たち一人一人に、今、問われているのだと思います。
 最近、「僕の歩く道」(8チャンネル・火曜・夜10時)というテレビドラマが放映されています。「自閉症」と診断された青年が、家族(母、妹、兄夫婦、 甥)、幼友達、職場の人々(動物園)と様々にかかわり合いながら、「社会参加」している様子が、描かれています。  私は、そのドラマの中で、@「僕」は、周囲の人々とのかかわりのなかで「どのように変化するか」、A周囲の人々は、「僕」とのかかわりの中で「どのように変化 するか」に、注目しています。
 これまでの展開では、「僕」の行動特徴を理解し、積極的に職場との「橋渡し」をしているのは、「他人」(幼友達)です。「妹」や「兄」は、「僕」の行動特徴を 「熟知」しているのに、「めだった行動」は起こしません。きわめて「冷静に」見守るだけです。なぜでしょうか。「妹」や「兄」は、「僕」の存在を、どのように感 じているのでしょうか。「かかわりかた」は、家族として自然であり、「負担」「対立」といった「関係」はうかがわれません。父親不在(理由はわかりません)の家 庭の中で、これまで、様々な「困難」を経験してきたはずです。それらを母と協力して、一つ一つ克服してきた「結果」なのでしょうか。「ドラマは作り話にすぎない」 かもしれません。しかし、「障害者」と呼ばれる人物を主人公にすることの「社会的影響力」は大きいと思います。注意深く見守っていきたいと思います。
 実生活の中で、D・本人と兄弟姉妹が「対立」することは、「自然な姿」だと思います。いわゆる「兄弟げんか」は、どこの家庭にもあることだからです。兄弟姉妹と 「対立」するまでに、本人の「自己主張」が「たしかなもの」の成長してきたことを「喜んで」いいのかも知れません。
 大切なことは、「対立」の状態を「そのままにしておかない」ことだと思います。まず、原因をはっきりさせることが必要です。次に、本人の「言い分」を正確に理解 し、兄弟姉妹に伝えることが必要です。さらに、兄弟姉妹の「言い分」「立場」も、わかりやすく本人に伝えることが必要でしょう。そして、どうすれば、「対立」の原 因を、取り除くことができるか、を家族全員で「考え」、様々なアイデアを試みることが大切です。
 (前述のドラマでは、「僕」と「甥」の「対立」が描かれていました。小学生の「甥」が、「僕」のお金を「横取り」しようとしたのです。「甥」は、「僕」からお金 を手に入れ、「誰にも言わない」約束を強要しました。「僕」は、職場で昼食代が払えず、お金が無くなったことがばれてしまいます。母や兄が心配して「僕」に問いた だしますが、「僕」は、約束を守り、本当のことを話そうとしません。「僕」からお金を「横取り」したのは誰か。重苦しい雰囲気の中で、「甥」の表情が変化します。 その様子を、「妹」は、見逃しませんでした。結局、「甥」が「横取り」したという「事実」が判明し、「一件落着」となりましたが、そのことで「僕」と「甥」の「気持 ち」が「近づいた」ような感じがしました。とりわけ、約束を守り通そうとした「僕」の様子を見て、「甥」の「良心」がめざめさせられたような感じがしたのですが・・・・。)
 それらの試みが一回で成功することはないでしょう。しかし、あきらめてはいけないと思います。「あれもだめ・・・、これもだめか」と「試行錯誤」を繰り返すことが、 家族の絆を強め、「連帯感」を生み出すきっかけになるからです。家族だけでは「解決」できないこともあります。しばらく「時間」が必要な場合もあるでしょう。そんな 時のためにこそ、「KOYOクラブ」(親の会)、その他の「関係団体」「関係機関」があるのだと思います。それらのネットワークを積極的に活用して、問題の解決を図 ってください。(おわり)