Q
 兄弟姉妹との関わりをどのように支援すればよいでしょうか。(その2)

A
 先日、いつもの理容室に行くと、先客がいました。視覚障害のある男児で盲学校の幼稚部に通っているそうです。 そばにお母さんと妹が付き添っていました。調髪の間、男児が頭や顔を動かすので、お母さんが体をおさえているの です。妹は、空いている椅子に座って待っているのですが、すぐに退屈してしまいます。お母さんや理容師さんに近 づいて、邪魔をしてしまうのです。そのたびに、お母さんはきつい口調で叱責しました。
 「ママが今、何をしているかわかるでしょう。そばに来てはいけません! 椅子に座っていなさい」そのようなこ とが、4〜5回繰り返されたでしょうか。「なんべん言えばわかるの! もうママは知りません」お母さんの表情は 固く引きつり、妹も無言でうつむいていました。
 私は、お母さんの気持ちがわかります。妹の気持ちもわかります。もし、私が妹の相手をして退屈を紛らわせたり、 男児の体をおさえたりすれば、その場の雰囲気は違ったものになったでしょう。しかし、私はその場を「観察」する だけで、何もしませんでした。理容師さんは、そっとお菓子を妹に手渡し、「もう少しで終わるから、待っててね」 と、やさしく言いました。妹は「アリガトウ」と小さな声で言いました。
 このような場面は、兄弟姉妹がいる家庭なら「いつでも、どこでも」見られることかもしれません。
 私は自問自答しました。どうして、私は何もしなかったのだろうか? 観察するだけで何もしないのは「無責任」 ではないか。お母さんの気持ちがわかるなら、助けてあげて当然ではないか。しかし、一方で、私に何ができるのだ ろうか、という迷いがありました。そのことで、お母さんと男児・妹の「関係」が改善できるだろうか? という、 いやらしい「専門家ぶった」思いがあったと思います。結果として「高みの見物」に終わったことの責めは甘受しな ければならないと思います。
 以下は、私の「机上の空論」です。
お母さんは、男児を理容室に連れて行こうとする段階で、「事前に」どんなトラブルが生じるかを「予測」する必 要があったと思います。
(1)男児が調髪を嫌がって、体を動かす。
(2)私は男児の体をおさえなければならない。
(3)妹は待ちくたびれて、私に近づいてくる。
 この3点を予測し、「事前に」それを「予防」する方法を考えておく必要があったと思います。
<(1)に対して>
・ 男児に、今日は「理容室」で調髪してもらうことを提案し、本人の「了解」を得る。
・ バリカンではなく、はさみで髪を切るので、怖くない。ちょっとくすぐったいけれども我慢してほしい。かみそりは使わない。
・ 時間は30分程度かかる。
・ 妹も一緒に行くので、「上手に調髪してもらえる姿」(お手本)をみせてあげてほしい。
<(2)に対して>
・ 理容師に、「体のおさえ方」を確認する。
・ 妹が待ちくたびれて近づいてきた場合、どうすればよいか、理容師に助言を求める。
<(3)に対して>
・ 今日は、男児が「理容室」で調髪してもらうことを説明し、同行することに、本人の「了解」を得る。
・ 時間は30分程度かかるが、その間、「何をしているか」計画を立てる。
・ 兄が「上手に調髪してもらえるように」見守ってほしい。
 ものごとは、「計画通り」にいくとは限りません。しかし、「事前に」考えておいたかどうかで、「気持ち」のゆとりが変わります。
 お母さんは、心ならずも妹を「叱責」しているのです。「かわいそうに、もしお兄ちゃんが『障害児でなかったら』、こんなことで叱られず にすんだのに・・・」という思いがあったでしょう。
 しかし、その気持ちは、今の段階ではまだ妹には通じないのではないでしょうか。
いずれにせよ、「叱責」が、感情の吐露に終わる限り、問題の解決にはつながらないと思います。
 以上、<B 親の支援が本人に偏るので、兄弟姉妹が放置されている。>事例について考えてみました。
 親の支援が本人に偏ることは、否めません。そのことを、兄弟姉妹が「受け容れられるように」なるためにはどうすればよいか。
 以下もまた、「机上の空論」であることを御容赦ください。
(1)家族は、一人ひとり、かけがえのない必要な「存在」であること
(2)家族は、「力を合わせて」「助け合って」生活すること
(3)家族は、一人ひとり、違う「役割」をもっていること
(4)家庭は、家族の「安全基地」であり、誰もが「安心」して過ごせる場所であること
(5)家族は、やがて「新しい家庭」を作るために、自立・独立していくこと
 などについて、家族全員で話し合い、「自分の気持ち・考え」を、はっきり表明することが大切だと思います。一人ひとりに「心休まる 場」があるでしょうか。その場が得られないで、ストレス、不満を感じている家族はいないでしょうか。一人ひとりの「存在価値」は認め られているでしょうか。必要とされているでしょうか。一人ひとりの「役割」がはっきりしているでしょうか。その役割を果たす「喜び」 を感じているでしょうか。
 「自分の気持ち・考え」をはっきり「ことばで」表明できない場合があります。しかし、「表情」「動作」「行動」を見れば、周囲が 「察する」ことはできるでしょう。
 また、それぞれの「気持ち・考え」が「対立」する場合があります。
私自身、父子家庭で育ちましたが、父親の「気持ち・考え」とは、最後まで「対立」したままでした。生涯、「母親の存在」を感じ取る ことはできませんでした。しかし、「家庭」とか「家族」とは、そうしたものではないかと思います。
 できれば、一人ひとりの「気持ち・考え」を理解し、それを可能な限り実現できるような「チームワーク」を作りたいと思います。
 一人ひとりの「気持ち・考え」を理解し、受け容れることができれば、解決までは「一本道」でしょう。「家族」は「他人」ではないの です。その場にいるだけで、「今、自分が何をしなければならないか」を感じとれるはずだからです。
(次回につづく)