Q
 兄弟姉妹との関わりをどのように支援すればよいでしょうか。(その1)

A
 私自身は「ひとりっ子」で育ちましたので、兄弟姉妹との関わりを経験したことがありません。 したがって、「机上の空論」でお答えする結果になりますが、御容赦ください。
 人間は「社会的動物」と言われるとおり、集団で生活します。その最小単位が「家庭」です、 現代の日本の家庭は「核家族化」し、両親に子ども1〜3人という構成がほとんどではないでしょうか。 かつてのように、「家を守る」「子孫を残す」というような雰囲気は、(一部の有力者を除けば)あまり 感じられません。しかし、「家」のために、家族の誰かが犠牲になる現象は、依然として「根強く」残っ ているように感じます。別居している祖父母の「介護」をどうするかという問題は、どこの家庭でも当面 しているのではないでしょうか。私は「家族の中に『介護』を必要としている人がいる」という点では、 その対象が@「高齢者」と呼ばれる人であっても、A「障害者」と呼ばれる人であっても、大差ないと思 います。
 @の場合、「寝たきり状態のため24時間の介護が必要。このままでは、介護する方も倒れてしまう。家族 全員の生活を犠牲にすることはできない」という判断で、「介護付老人ホーム」への入居というケースが 多いのではないでしょうか。
 Aの場合、「親が面倒を見られるうちはまだよい。しかし、親無き後、この子の面倒を誰が見るのか。兄 弟姉妹を犠牲にすることはできない」という判断で、「後見人制度」を利用するケースが考えられます。
 しかし、いずれの場合でも、私たちの気持ちは「すっきり」しません。なぜなら、自分たちの犠牲を回避 することに「割り切れなさ」を感じるからです。それが家族のみんなにとって「次善の策」であっても、 「最善の策」だという確信はもてないからです。自分たちは今、介護を必要としていない。介護を必要とし ていない者(強者)が、必要としている者(弱者)の「犠牲になる」とはどういうことだろうか。もともと 「家族」とは、互いに「支え合い」「助け合う」存在ではなかったか、という思いが私たちを支配している からだと思います。
 @の場合でも、Aの場合でも、本人は「自分の責任・過失」で弱者の立場になったわけではありません。 だからこそ、家族全員で支えなければならないのです。親が子どもの犠牲になる、子どもが親の犠牲になる、 兄弟姉妹が兄弟姉妹の犠牲になる、それが家族本来の姿だと、私は思います。
 Aの事例として、こんな話を聞いたことがあります。
<親子の対話>
弟「ねえ、お母さん。うちのお兄ちゃんは、どうしてあんなにめちゃくちゃなの?まだ、歩けないし、ことば もはっきり話せない。ごはんも食べさせてもらっているし、トイレも、自分でできない」
母「そうねえ。あなたはどう思うの?」
弟「みんなが、ぼくのことを変な目で見るんだ。ぼくは、はずかしいよ」
母「そう、はずかしいの?お母さんはちっともはずかしくないわ」
弟「どうして?」
母「それはね。お兄ちゃんが生まれるとき神様が考えたの。今度生まれる赤ちゃんをどこの家の赤ちゃんにしようかなーって。 体も弱いし、たくさんお世話しないと育たないか も知れない・・・。心のやさしい、あったかい人たちの家はないかなーって、 育ててくれる家を探したの。そうして、この家の子にしてくれたの。神様が、『あの家ならこの子をしっかり育ててくれる、安心だ』 と思って、お兄ちゃんを家の子にしてくれたの。だから、おかあさんは、ちっともはずかしくないの」
 この話は、私の「作り話」ではありません。このようなお母さんが「実在」していることに、私は感動しました。「神様」の存在を信じる、信じないは別として、「老い」「難病」「自然災害」など「現在の人間の力ではどうすることもできない」ことはたくさんあるでしょう。その「困難」を受け入れ、懸命に克服しようとしているお母さんの「精神力」に脱帽します。  弟が、母の話を聞いてどう感じたか、それはわかりませんが、兄弟姉妹との関わりをどのように支援すればよいか、について考えるヒントの一つになるのではないでしょうか。
 さて、Aの場合における、兄弟姉妹との関わりで、当面どのような問題が生じているでしょうか。
A <親子の対話>のように、兄弟姉妹が「偏見」に遭っている。
B 親の支援が本人に偏るので、兄弟姉妹が放置されている。
C 親の支援を、兄弟姉妹が「負担」している。
D 本人と兄弟姉妹が「対立」している。
 いずれも、「重たく」「深刻な」問題であり、一朝一夕に解決することはできないと思います。しかし、あきらめてはいけないと思います。そのまま放置してはいけないと思います。それらの問題は「家族全員」にかかわる問題であり、そのままにしておけば「家族」の絆(連帯感)がバラバラに断ち切られるおそれがあるからです。と言うよりは、すでに、その絆が危うくなっているために、そのような問題が生じているのかもしれません。  したがって、いずれの場合でも、「家族」の絆(連帯感)を「取り戻す」「より強化する」ということが大切になると思います。
 Aの場合、「障害とは何か」という基本的な考え方を、家族全員が「共通理解」する必要があります。千葉県では「障害のある人もない人も共に暮らしやすい千葉県づくり条例案」が検討されており、その試案の中で「障害」は次のように定義されています。
<(定義)第二条 この条例において「障害」とは、心身の状態が、疾病、変調、傷害その他の事情に伴い、その時々の社会的環境において求められる能力又は機能に達しないことにより、個人が日常生活又は社会生活において継続的に制限を受ける状態をいう>
また、条例の基本理念として、<すべて障害のある人は、障害を理由として差別を受けず、個人の尊厳が重んぜられ、その尊厳にふさわしく、地域で暮らす権利を有する>とも述べられています。
 そのことを、私なりに解釈すれば、「障害とは『生活に支障が生じている状態』であり、障害のある人とは、『その支障を(その人が所属する社会の力で)取り除いてもらえる権利を有する人』である」ということになります。「障害者手帳」は、その「特権」の証だと思います。 人は誰でも、いずれは「障害者」になります。今、「障害者」と呼ばれる人の問題は、実は「自分自身の問題」であること銘記しなければならないでしょう。
(次回につづく)